2019年01月25日(金)

延寿通信 第186号 2019年2月 [延寿通信]

タオル・手ぬぐいの話
 入浴に欠かせないものとして、先に石けんを取り上げましたが、もう一つあります。それはタオルや手ぬぐいです。
 先日、松山市へ行った際に、商店街を歩いていたら、そこに大きなタオルの店があって、大小さまざま、色とりどりのタオルが、店一杯に広がっているのを見ました。これほど、たくさんのタオルを並べることが出来るのは、近くにタオルの生産地今治があるからでしょう。関西では、ちょっと見当たりません。     
 タオルといえば、わが国では三大生産地として、愛媛県の今治タオル、大阪府の泉州タオル、三重県のおぼろタオルがあり、この中で、現在は、今治が生産量第一にあるといいます。
 この、三大タオルには、それぞれに特徴があって、ドレもこれも同じものではないようです。
 今治タオルは吸収性の高さが特徴で、それは、タオル作りに必要な良質の水に恵まれているからだそうです。
 泉州タオルは洗濯で縮みにくい性質で重宝されており、やはり良質な軟水がいかされているからといいます。
 三重県のおぼろタオルは津市で作られており、繊細なタオルで軽い肌触りが特徴です。
 タオル(towel)とは、その名前からして日本古来のものではありません。タオルは、どこから、いつごろ日本に来たのでしょうか。

1.タオルの歴史
 わが国のタオル生産は大阪で1880年ごろに始まりました。大阪では製法の改良、機械の開発などタオル生産の改善はどんどん進みましたが、1889年には、
愛媛県の今治でも生産が始まり、わが国のタオル2大生産地が、この時点で確立しました。
 今治という地域は、もともと綿花の産地で、江戸時代後期に木綿の生産が始まり、全国に伊予木綿を広めてゆきました。その後、木綿の生産は大阪や兵庫などに広まって発展したため、今治の綿生産は衰退します。そこで、この地の綿業生産者がタオル生産に目を向けて、タオルの織機を導入し、1894年にタオルの生産を始めました。
 タオルというのは、フランスで1811年ごろに考案され、はじめ、絹糸であったのが、のちに綿糸になり、それが、1864年に、アメリカに渡って生産は工業的に拡大し、タオル生産の主体はアメリカに移りました。タオルというのは生まれて200年で、歴史的には、さほど古いものではないようです。
 タオルは布としては複雑な構造ですので、織機の開発、工業的な生産体制の整うまでに時間がかかったのでしょう。
 明治の初め、タオルが輸入されていたころ、タオル使用の目的は手ふきではなく、首巻、襟巻きとして大事に使われていました。タオルが浴用あるいは身体を拭くのに使われるようになるのは、1900年ごろからです。
 バスタオル(湯上りタオル)というのは、今ではタオルの一番大事な役割なのですが、これが使われるようになるのは、日本では昭和初期以降(1925年ごろ)です。また、湯上りに着るバスローブが普及するのは、1907年に商品が初めて市中に出たのですが、一般に広く普及するのは1925年ごろからのようです。
 昭和になってから、タオル業界は大躍進で、タオル商品が増えてきました。バスタオルをはじめとして、バスローブ、寝冷え知らず、パジャマ、ガウン、さらに肌着から、カーペットの分野までひろがりました。
 商品の充実につれて、消費者のタオルの品質に対する要望も高まってきて、1932年には、タオル製品は浴巾、バスタオル、反物、腰巻、ハンカチーフの5品種に区分され、タオルケットという和製英語まで生まれました。この時点で、品質の規格も生まれました。
日本手ぬぐいというのは、タオルに押されて、だんだん減ってはきましたが、簡易な素材で、デザインも工夫できることから、今もなお、一分野を保っております。特に、1945年前後、戦中,戦後の暮らしの逼迫した時代はタオルどころではなく、日本手ぬぐいの最盛期でした。日本手ぬぐいは鉢巻には欠かせません。戦中の神風特攻隊を、今日、表わす際には、この日の丸日本手ぬぐいが主役になります。

2.タオル提げて歩く人
 冒頭にも述べたように、風呂、入浴にはタオルが必要です。タオルをブラ提げて、湯桶を持って街を歩く姿は、一時代前の銭湯常連客お決まりの姿になりました。
 銭湯や宿の風呂に入る場合には、実際には体を洗うためのタオル、それと身体を拭いて乾かすタオルの2種が必要です。銭湯のような共同風呂では、浴槽にタオルを入れるのは浴槽の衛生状態を保つために厳禁になっており、浴槽で、ゆったりタオルで身体を拭いたりするのは個人用の風呂に限られています。
 風呂上りのタオルは大型で、浴槽、洗い場で使うタオルとは別になっていました。風呂から上がり、大きな乾いたタオルで身体を拭い、水をきってさっぱりするのは気持ちよいものです。これにはぱりぱりに乾いたタオルがいります。
 温泉街では、男女ともども老いも若きもタオルをぶら下げて、あるいは湯桶に入れて歩く姿は欠かせない光景で、ほのぼのさせます。
 一方、酷暑の時期には、街や日陰で、汗ぬぐう人たち、あるいは農村、道路で働く人たちは、流れ出る汗にタオルが活躍です。
 

3.鉢巻の手ぬぐいの歴史と産地
 勇ましく立ち向かう時のりりしいスタイルの人の鉢巻といえば、男性にも女性にも日本手ぬぐいが映えます。タオルでは役に立ちません。みこしかつぎなど荒々しい人たちの鉢巻は、壮観です。帽子姿では、演出不十分です。しかし、景気のいい魚屋さんのスタイルでは、手ぬぐいよりもタオル鉢巻が似合います。
 手ぬぐいは鎌倉時代から暮らしに使われ始めたそうですが、もともと原料となる綿花の栽培が江戸時代から始まったことから、一般への普及は、この頃からではないかといいます。手ぬぐいは綿織物の単なる切れ端ということから、身の回りの品物としては、道具というほどでもなく、洗面用具としての普及ということになります。手拭いの用途といえば、汗を拭いたり、あるいは濡れた手を拭いたりで、さほど難しい仕事には登場しません。
 日本手ぬぐいは、タオルのように専門の機械でわざわざ作るものでもなく、布の切れ端ですので、誰でもどこでも簡単に手に入る代物です。
 近年になって、派手なデザインや、瀟洒な柄が、手ぬぐい独特の世界を造りつつあります。手ぬぐいは意匠によってがらりと趣が変わります。
 タオルと違って、手ぬぐいには産地というのが決まっていないのですが、綿織物の産地が浮かび上がってきます。この綿織物には、日本の四大産地として、静岡県、愛知県、兵庫県、大阪府が出てきます。
さらに詳しく調べてゆくと、綿も含めて織物全般の産地としては
米沢、栃尾・見附、桐生、富士吉田、天龍、遠州、三河,尾張、北陸、湖東、泉州,丹後、西脇、三備、今治、博多などが出てきます。
 この中で、三河地区は日本の綿花栽培発祥の地になっています。799年にここに漂着したインド人が綿の種栽培方法をもたらしたのです。しかし、当地で産業として実際に綿栽培が始まったのは1500年ごろであり、やがて、三河は日本の大産地として発展して行くのですが、これは近代、明治の初めで、この時点で織、染め、縫製まで一貫して供給出来るようになりました。
 昨今の手ぬぐいの話題は、もっぱらデザインです。色、柄が豊富というか、
手を拭いたり、汗を拭うのが惜しくなるような手ぬぐいが出回り、部屋の装飾品として飾っておきたいようなのがあります。手ぬぐいのこれからの道を示しているかのごとくです。

<参考文献>
佐藤可士和・四国タオル工業組合:今治タオル奇跡の復活--起死回生のブラン戦略、朝日新聞出版、(2014年)
宇高福則:進化するタオル文化、繊維製品消費科学、45巻、No.8(2004年)
藤岡徹朗:タオル、タオルケット、タオル製品の変遷、製造方法、繊維製品消費科学、41巻、No.2(2000年)

Posted by 管理者 at 11時48分

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